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KEN HAMAZAKI

現代美術のアウトサイダー 真のアヴァンギャルドは古典に通じる

Posted : 2015年2月24日
現代美術のアウトサイダー 真のアヴァンギャルドは古典に通じる

Text: フリー・ジャーナリスト 八木 健一

 浜崎 健を語る上で、重要なのは無意識と偶然性である。彼の特有である「迷路」で描く技法は、幼少時代、無意識に迷路で落書きしていた癖を画法に取り入れた。アイデンティティーやオリジナリティーを模索するのに、あれこれ悩む作家は多いと思うが、浜崎は芸術を志した当初から「本来、自分に備わり、自らの力で導き出した事をしないと、独自性はない」と見ていた。
 これが、迷路画に繋がるが、当然、彼自身は、美術の基本的な知識も技術も知らない。特に、ビジネスに置いても「現代美術のルールも知らない」浜崎は、既存の美術界ではアウトサイダーと言えよう。
 偶然性にまつわるエピソードでは、「モナリザ」のパズルのピース一片、一片を用いた「パズル・ペインティング」展を開催したとき、その由来を彼は、夢から啓示を受けたという。「あるグループ展を見に行っている夢を見た。そこで、大きな緑のパズルのピースを見つけ、それを徐々に遠くから眺めると大きな森になっていた」と夢から覚めた瞬間、それをメモにした。
 普通ならデッサンから始まり色彩構成を考え作り始めるが、全てのピースからランダムに選んだ一つ、一つに赤、黒、黄を色づけ、それを繋ぎ合わせる。まさに、出来上がるまで全体の色彩構成は、本人にも分らない作品となった。偶然を楽しみ、その結果を考察し、価値を見出すのである。
 また、インスタレーションの様に見る人たちが共同で参加し、作品やパフォーマンスを意味づけていくことも彼の喜びの一つである。阪神・淡路大震災10周年のイベントに出品した作品「地震を自信へ」では、黒地に赤のマグネットで「earthquake(地震)」と描かれている。そのマグネットを下部にある白地の穴にはめ込んでいくと「confidence(自信)」へと変わる。被災者にとっては夢のある作品だ。
 また、浜崎のお得意である「お茶会」のパフォーマンスでは、「金の茶室や千利休の思想を学ぶうちに、辛気臭いイメージだったお茶の世界が、実は前衛的であることに気付いた」と自由な発想でお茶会を企画しだす。仏壇にある金の鈴(りん)を茶臼に仕立て、幼少の時に食べたお菓子などをお茶請けにした。浜崎自身は不要な動きを抑え、様式だけでお茶をたてる。参加した一人、一人がそれを見て異なった動きを見せる。浜崎はここでは傍観者にすぎない。
付加価値となるのは観客の反応である。浜崎が設定を考えるものの、これも、無意識に、そして、偶然に意味付けがなされるのである。この、お茶会は海外でも好評で、既に国内外で60回以上開催された。
 真っ赤に包まれた彼の容貌も独特だ。オリジナルの真っ赤な「HEY-MEN T-shirts」から始まり、ジャケット、パンツ、靴、サングラス、ベルトへと徐々に赤いもので統一されていくことになる。本来、「人間は赤が好きなはずである。母親の子宮の中が赤なのであるから」と全身が赤だと派手で社会から敬遠されることに疑問を持つ。それへのアンチテーゼでもあるが、「攻撃的意識はない、母にくるまれているように落ち着く」のがこの姿なのである。
 浜崎は作品を自分の子供だという。作品そのものは物質的であるが、それに儀式のようにフレームを目や鏡を入れた粘土でくるんだり、歯ブラシをそっと添える。これによって、「精神」が備わり、浜崎自身の分身となるという。まだまだ、彼が偶然に発見する素材、技法がどう繋がっていくかは、未知の世界である。
 また、総合的に生活様式そのものを演出したいとの考えもある。既に、自身のギャラリー「浜崎健立現代美術館」を設立。独自のブランド「ライフユニフォーム」「アート・オブ・ライフ」「スパイス・オブ・ライフ」を展開し、ファッション、雑貨類やお気に入りのアーティストのポスターやポストカードを販売している。当然、自身の作品の発表の土台となっているが、積極的に若手作家を掘り起こし、様々な企画展を開催している。
 トータルな演出として今、構想中なのがお茶会と自身の作品とのリンクである。映像や音なども積極的に用い、パフォーマンスだけでなく、作家としても知名度を上げていきたい考えだ。
 彼は言う「真のアヴァンギャルドは古典になる」と。「現代美術の中に一石を投じたい。媚びを売ったり、相手の意向に合わせるやり方ではなく、自分のルールで入り込みたい」とその用意ができたことを自負する。
確かに、見果てぬ野望のように聞こえる。しかし、既存の美術論や技術、そしてビジネスシステムも知らないアウトサイダーであるが故に、従来の枠には収まらないし、新たな可能性は見出せる。現代美術の世界も、アートバブルの様相が見られ、いまや順風満帆とは言えない。異物を取り入れ、新しい価値を創造しようとする現代美術界の懐の深さが試される。